2005/8/10 趣味について

『趣味』

50をすぎたあたりから 趣味についての考えが変わった。
それまでは 仕事を離れて気分を変えるため、或いは単に その時興味をもった好きなことをやってみる、と言った程度のことと考えていた。
その程度のことなら私にはやりたいことが沢山あって、その時々の気分で何かをやっていれば良い訳で、例えば体を動かしたかったらゴルフや散歩、バードウォッチングなど。動きたくなければテレビの囲碁や将棋を見るのも好きだし、本を読んでいるだけでも1日過ごせる。たまには下手な絵手紙を書いても良い。極まれにギターを練習してみたりもする。 ドライブがてら好きなものを食べに遠出するのも偶の贅沢だ。メンバーさえ揃えばマァジャンは長時間付き合っても苦にならない。そんなこんなで私は退屈ということを知らない。
でもこれらは本当に趣味なんだろうか?と思い始めたのが10年くらい前になる。

新聞・テレビなどで時々紹介される趣味人と言われる人たちは、それが本職になってもおかしくないと思われるほどそのことに打ち込み、長じている。
先日も会社員ながらテナー歌手として海外公演に出かける人の記事を読んだ。
囲碁や将棋の全国大会に参加する人たちも沢山いる。県代表になるなどは立派の一言だ。
自然保護活動でお会いする人達には知識の固まりのような人が沢山いて、木や草花のことならお任せくださいとか、蝶のことならとか、鳥のことならなど、本当に良く知っていらっしゃる。この方達はその知識を生かして地域活動に参加しては子供達に囲まれ、楽しそうに話を聞かせている。特に年配の人がそういう時に生き生きした表情を見せるので、これが本当の‘芸が身を助く’ではないかと思ったりする。

振り返って自分のことを考えると、人様に講釈できるほどのものは何も無く、自慢出来るほど腕の良いものも無い。ゴルフで言えばシングルハンディになるとか、あげて喜ばれるような絵を描ける、楽器で場を盛り上げる演奏が出来るとか、身の回りの草花について子供らに説明できる知識が欲しいとか、何か一つくらい持っていたい、それが趣味と言えるものではないかと思い始めた。
けれど、ゴルフは本来出不精な身では上達も望めないし、楽器はすでに何度も挫折を繰り返している。木や草花の名前も覚える数より忘れる数の方が多くなってきた。
 考えた末に目標にしたのが囲碁の段位取得。囲碁は子供のころにルールを覚えていたけれど勉強したことは無く、日曜日に教育テレビでやる将棋を見た続きでぼんやり見ているくらいだったけれど、加齢とともに囲碁の方が面白くなり、近年は将棋よりも囲碁目的でテレビを見るようになっていた。これならあまり無理なく出来そうな気がするし、子供達に教えても良い、ということで思い切って町内の同好会発足に応じて参加してみた。

3級で参加した初日、幹事の‘良い碁を打つね’の褒め言葉ですっかりその気になった。
やり始めて2年で3段取得、一応の目標は達成した。けれどこの程度では到底駄目で、せめて5段くらいは持たないいけないと思い始めている。3段では允許状にあるように、‘手段漸く熟し’程度のことで、人様に教えるなど出来るものではないと判ってきたからだ。
5段になるには実戦をもっと熱心に数多く積む必要があるし、何より定石や手筋をもっと覚えなければならず容易ではない。もっと若いうちに勉強しておけばよかったと思う次第。

2005年08月10日